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東京地方裁判所 平成9年(ワ)3723号 判決 1997年8月29日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は原告に対し、一九一一万三二二〇円及びこれに対する平成九年二月八日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、被告と内装工事等の請負契約を締結していたところ、被告が突然工事を中止したことを理由に右契約を解除したとして、別途第三者との間で請負契約を締結して支出せざるを得なかった費用等を損害賠償として請求した事案である。

二  当事者の主張

(請求原因)

1 原告は被告との間で、平成九年一月二一日、原告を注文主、被告を請負人として、別紙建物目録二記載の建物部分につき、被告が別紙仕上げ表記載の内容の工事(以下本件工事という)を請負金額五四〇〇万円、納期平成九年三月一三日の請負契約を契約した(以下本件契約という)。

2 被告は、平成九年二月四日より一方的に本件工事の続行を中止し、同月七日には原告に対し、本件工事を続行する意思のないことを通告した。

3 そこで、原告は被告に対し、同月七日、本件契約を解除する旨の意思表示をした。

4 原告は本件工事の完成を本来の納期に間に合わせるため、パルテック株式会社(以下パルテックという)に急遽発注せざるを得なくなったが、被告の行った中途工事の解体作業、新たな図面製作、仮設工事、以上の作業のための諸経費、管理費及びパルテックへの発注工事代金の合計額は七三一一万三二二〇円に及ぶ。

よって、被告の債務不履行による契約解除に伴う原告の損害は、右金額と被告との本件契約代金額五四〇〇万円との差額である一九一一万三二二〇円を下らない。

5 よって、原告は被告に対し、本件契約解除に基づく損害賠償として一九一一万三二二〇円及びこれに対する解除の日の翌日である平成九年二月八日から支払済みまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する認否及び反論)

1 請求原因1は否認する。被告は、事実上先履行として本件工事に取りかかっていたが、まだ正式に本件契約締結の意思表示をしていなかった。

2 同2の事実中、同年二月五日から七日まで本件工事を中断した事実は認め、その余は否認する。被告は同月四日には本件工事を中断していない。

3 同3は認める。

4 同4は不知ないし争う。

5 原告は被告に対し、平成八年六月二七日、紀尾井町ビル四階の内装及びカーペット工事を、代金三四五〇万五〇〇〇円(消費税込み)、支払期限同九年二月一〇日、で発注し、被告はこれを完成し、原告に引き渡した(以下別件工事という)。

原告は、右支払期限の一週間前の同月三日になって、突然、右期限には右約定金額の四分の一のみを支払い、残金二五八七万八七五〇円を同年三月から五月まで、毎月一〇日限り各八六二万六二五〇円を支払う内容に変更することを通告した。

被告は直ちに、右支払条件の変更申し入れ(以下変更案という)を拒否するとともに、当初の約定どおりの履行を求めたが、原告からはこれに応じるとの回答はなかった。翌四日にも、原被告間で同様のやりとりが繰り返された。そこで、被告は、同五日、本件工事を一時中止し、別件工事代金の約定どおりの支払をさらに求め、そのための協議をファクシミリで申し入れた。これに対し、原告は、同日に回答をしなかったため、同六日も工事を中止した。原告は、同六日付けファクシミリを被告に送付したが、この中でも変更案に固執し、これを撤回しなかったので、被告は、翌七日も、本件工事を中止することにし、同七日付けファクシミリで被告に対し、再度変更案を拒否するとともに、変更案を踏まえて工事続行の意思がないことを伝えたものである。

以上によれば、被告の本件工事の中止行為は、原告の別件工事代金、ひいては本件工事代金の支払に不安があったことを理由とするものであり、合理的であって、本件契約の解除原因たる債務不履行とはいえない。

(被告の主張に対する原告の反論)

被告の主張は不安の抗弁によるものであると解されるが、これが成り立つためには、相手方が詐害行為や支払停止に匹敵すべき一般的包括的な財産状態の決定的悪化をきたしたこと、相手方に資力に対する疑念を払拭する働きかけを行ったのに相手方がこれに応じなかったことなどの要件が必要である。

しかるに、本件では右の事情が見られないのであるから、被告の主張は失当である。

三  争点

1 本件契約は成立しているか。

2 本件解除の有効性(被告の本件工事中止行為が本件解除の解除原因たる債務不履行といえるか)

3 本件解除が有効であった場合の原告の損害額

第三  当裁判所の判断

一  まず、争点2について判断する。

《証拠略》によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足る的確な証拠はない。

1 被告は別件工事を原告から請け負い、これを完成させたが、右代金二五八七万八七五〇円の支払期限は右工事完了後約五か月後の平成九年二月一〇日であった。

2 被告は、右請負代金債権につき、原告から何らの担保もとっていなかった。

3 被告は、平成八年一二月から、本件工事に着手していたが、平成九年二月三日になって、原告から突然、変更案がファクシミリで送付された。

4 被告は右提案に驚いたが、直ちに、これを拒否することにして、右同日夜、白石、竹山両部長が原告を訪問し、草野、安達両常務に対し、変更案には応じられないので当初の約定どおり履行するよう求め、別件工事につき約定どおりの支払がなされないようであるならば、本件工事についても代金が約定どおり支払われるか疑念があるので、工事の中止を考えざるを得ない旨述べた。

これに対し、原告は、変更案を了承するよう被告に求めるばかりで、変更案を撤回したり、これに向けて前向きに検討するとの話しは全くなかった。

5 翌日の同月四日に、原告草野常務は被告を訪れ、被告代表者、白石、竹山、有吉の被告各部長に対し、変更案を了承するようにさらに求めた。被告は、これに対し、変更案に応じられない旨強調し、再度、約定どおりの履行を求め、約定どおりの支払を確答するまでは本件工事を中断せざるを得ない旨述べた。

草野常務は、自分には決済権がないのでこれ以上答えられない旨回答するのみで、前日同様、変更案撤回に向けた前向きの姿勢は全く示さなかった。

6 被告は、翌二月五日に至るも原告から変更案撤回の回答が得られなかったため、本件工事を中止し、ファクシミリをもって別件工事代金の約定どおりの支払をさらに原告に求め、そのための協議を申し入れた。これに対し、原告は、同日に何らの回答をしなかったため、被告は同六日も工事を中止した。

7 原告は、同六日付けファクシミリにおいて、さらに被告に対し、変更案を了承するよう求め、「これ(変更案)をご理解いただけるということであれば、遅くとも同月七日までに話し合いたい」と回答した。そこで、被告は、同日も、本件工事を中止するとともに、同月七日付けファクシミリで再度変更案を拒否し、原告の一連の態度は債務不履行宣言とも解しうるとして、本件工事の続行の意思がないことを原告に伝えた。

8 被告は、結局、同月五日から七日までの三日間、本件工事を中止したが、工具や部材等の撤去をしたわけではなく、原告から別件工事代金の約定どおりの支払の確答があれば、いつでも工事を続行できる態勢にあった。

9 原告は被告に対し、同月七日付けファクシミリをもって本件解除の意思表示をした。

以上の認定に対し、原告は、被告が同月四日から、本件工事を中止したと主張し、これに沿う《証拠略》があるが、《証拠略》によれば、原告は当初から、本件工事の中止が同月五日からなされたと主張しており、同月四日から右中止がなされた旨主張し出したのは第三回口頭弁論期日からであること、原告は同月六日付けファクシミリをもって被告の本件工事中断を非難しているが、この中においても、本件工事の中止が同月五日及び六日の二日間であると主張していることが認められ、これらの事情に、《証拠略》の記載内容を併せ考えると、乙二の右該当部分はにわかに採用できないというべきである。

二1  以上の認定を総合すれば、被告は仕事の完成後約五か月後支払の約定の別件工事代金について、債権確保のための担保を全く有していなかったことから、約定の期日に、確実に支払があることをいわば心待ちにしていたところ、支払期日の一週間前になって突然、原告から変更案の提示を受けたものであり、被告とすれば、当時、着手していた本件工事の代金支払についても、これが確実になされるかどうかにつき疑念を抱いたのはもっともであることが認められる。

2  そして、被告には、原告の変更案を受諾する法的義務はなく、逆に、原告に対し約定どおりの支払を要求する権利を有しているのはいうまでもないところ、前記認定の事実によれば、被告は原告から変更案を示された当初から、変更案を受け入れる意思は全くなく、極めて強力な態度をもって、変更案を拒否し、約定どおりの支払(及び支払の確約)を要求していたことが明らかである。

これに対し、原告は、同月三日及び四日とも、変更案を被告に飲んで貰うべく交渉を続けたいとするだけであり、変更案を撤回する意思が全くないと被告に受け取られても仕方がない態度を示し続けていたことが認められる(なお、原告草野常務は、右交渉中、原告代表者が海外に出張しており、決済権者がいなかったので明確な回答ができなかったとするようであるが、右は原告の内部事情に過ぎず、被告に対し明確な回答をしなかったことの正当理由とならないというべきである)。

3  しかるに、被告は、このような状況のもとにおいて、前記認定のとおり、別件工事代金につき「原告から約定どおりの支払をするとの確答を得るまで」と期間を限って、しかも、右確答があり次第、右工事を続行できる状態にした上で、右支払と密接な利害関係がある本件工事につき、一時的に工事を中止したものであり、右行為に至った事情、行為の目的、態様等を総合考慮すると、この行為をもって、当事者間の契約関係上の信義にもとる行為(解除原因たる債務不履行)と評価することはできないというべきである。

4  また、同月六日付けファックスによる、被告の回答によれば、原告は、被告が、別件工事代金につき、原告の変更案を飲んでくれるならば、遅くとも七日まで協議に応じたい旨の回答をしており、右内容は、逆に言えば、原告が、被告との協議を続けるためには、被告が変更案を了承しなければならないと考えていることが明らかである。

このような要求を受けた被告が、原告にはもはや別件工事代金につき、約定どおりの支払をする意思がないものと判断し、同月七日付けファックスをもって、このような前提では先履行としての工事続行ができないと原告に表明したことも何ら責められるべきではない。

5  以上の点につき、原告は、被告の本件工事の中止は、不安の抗弁の成立要件を欠いている旨主張するが、前記認定の事実関係のもとでは、被告の右中止行為は目的、態様等において、解除権の発生原因となる債務不履行とは評価できないと解されるのは前記のとおりであって、原告の右主張は失当である。

6  また、原告は、昨今の深刻な経済状況の下では大企業でさえも、支払方法の変更を要請しているのだから、原告の支払条件変更の申し入れは不穏当のものではない旨主張する。なるほど、私的自治の下、変更の提案をすること自体は何ら責められるべきではなく、相手方がこれに応じれば何らの問題も生じない。しかしながら、いかに深刻な経済情勢下にあったとしても、相手方は右提案を受け入れなければならない義務はなく、明確にこれを拒否する自由があるのであり、相手方がこのような意思を表明している場合において、なお自己の変更案に固執し、これを了承するよう相手方に強力に働きかけ続けることは、相手方の自己への不信の念を芽生えさせ、ひいては、相手方の信義を裏切ることにもなりかねないものであり、そのリスクは当然負担しなければならないものである。

本件においても前記認定のとおり、被告は原告の変更案を明確に拒否していることは明らかであり、原告が、なお、変更案を飲むように交渉を続けようとする場合には、被告から、不信の念を抱かれ、それ相応の対応をとられても仕方がない立場にあったというべきである(なお、原告は、別件工事代金の履行期が来るまで、被告に変更案を了承するよう交渉することは自由であり、これに固執しても債務不履行とはならない旨主張するようであるが、被告が変更案を明確に拒否し続けているのに、これを撤回せず、これに固執する態度をとる場合には、少なくとも、被告が原告の債務の履行意思の有無につき疑念を抱き、前記のような態度をとることを是認するには十分であるというべきである)。

三  以上によれば、本件解除は理由がないことが明らかであって、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却することにし、主文のとおり判決する。

(裁判官 齋藤繁道)

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